ボルガライスは福井県越前市(旧武生市)のご当地グルメ。1980年代より広がったとされていて現在越前市ボルガマップによると16店ほどの提供店があるとされています。

 

一般にオムライスにカツを乗せたようなと表現されることが多い食べ物ですが、その成り立ちについては諸説ありよく分かっていないとされています。

 

今回、発祥の店と言われる店の1つ、カフェド伊万里さんに訪問する機会を得た事から、その成り立ちに敢えて切り込み、大胆な推論を立ててみました。



まずはボルガライスの由来について現在ある諸説を可能な限り纏めてみました。(こちらのサイトを参考にさせていただきました。)

 

1.ジャムハウスの前身店ローマ

現店主のお母様がやっていたローマ(羅馬)という洋食店で持ち合わせの材料で作った賄いとして考案されたメニュー。

以前店主がイタリアにあるボルガ地方という行った時に食べたトマトソースのメニューをアレンジしたためボルガライスと名付けた。

ジャムハウスについては、後にイタリアの「ボルガーナ」という村の料理に似てると教えられたことから、ボルガライスとなったとする説もある。

これに対して

調べた限りではイタリアにボルガーナという村や地方は存在しません。このボルガーナがヴィエステ岬の付近にボルガーノ岬の事ではないかという説もあるがヴィエステ岬の近くにボルガーノ岬は存在せず恐らくガルガーノ国立公園の誤りだろうと思われます。またこのボルガーナがボルゴ・バルスガナの事ではないかと言う説もあるが調査の限りではいずれの地域にも元となるに値する料理は見当たりません。

 

2.カフェド伊万里

昭和61年(1986年)創業時、友人の東京帰りの山口さんが東京で賄いとして作っていたレシピを伝授して作ったメニュー。

ボルガライスは山口氏がそのメニューを呼んでいたもので言われにつては誰も聞いた事がない。

これに対し

諸説ある中で伊万里は唯一この料理が東京由来であるとしています。後述しますが恐らくボルガライスは福井に伝わるより前に東京に存在した事はほぼ間違いないと思われます。この事から諸説ある中で伊万里発祥とする説が唯一整合性のある説と言えます。

 

3.ヨコガワ分店

ヨコガワ分店で、1980年頃、お客のリクエストでボルガを始めた。

ただ、当時の詳しい経緯については分かっていない。

これに対し

お客のリクエストは他店でボルガライスを食べたことのある某かが伝えたと考えるのが自然でむしろこの逸話はこの店では後追いでボルガライスがメニューに加わった事を示すものだと考えられます。

 

4.いろは支店

越前市天王町にかつてあったいろは支店でオムライスの上にとんかつをサービスで乗せた「中年ライス」という裏メニューが起源とする説。

これに対して

もし仮にこの様なメニューが存在したとして中年ライスと呼ばれていたものがボルガライスに転じる必然性が見当たらりません。

全国には、例えば静岡県沼津市にかつてあった「よ志もと」で出されていたカツオムライスも、同じ構成のメニューで、また大阪で今でも広く出されている大阪風トルコライスも構成は同じです。全国に同様な料理はまだ他にもあると思われますが、これが後にボルガライスと呼ばれるようになったと言う合理的な説明は一切ありません。

 

5.ボルガ川由来説

オムライスをボルガ川に浮かぶ小舟、カツをその積荷に見立てたとの説。

これに対し

この様な小舟は世界中の池、湖、川、海で見られボルガ川だけに帰着する必然性が全くありません。

ボルガ川で漁をする漁師が食べていたローカル食に由来するとの説。

これに対し

ロシアのボルガ川流域の主な都市のレストランをgooglemapで徹底的に調べましたが由来と思われる料理は全く見られませんでした。

元々オムライスもトンカツも日本由来の料理であり海外ではそもそも存在しません。

ちなみにオムライスの起源として現在2つの説が有力でその一つは1922年創業、大阪の北極星。胃が弱くライスとオムレットをいつも注文する常連さんのためにケチャップライスを卵に包んで提供したのが始まりとされています。そしてもう一つは1895年創業、東京の煉瓦亭で賄いとして作った卵混ぜごはんをオムレット型に焼いた料理を客が所望したという物です。煉瓦亭でメニューにライスオムレツが掲載されるようになったのは、1901年の事でこれ自体北極星より20年以上早いということになり、オムライスの発祥としてはこちらの方が早い事になりますが、現在のケチャップライスを卵で巻くというスタイルのオムライスとしては北極星が発祥とも言えます。

さらに付け加えると現在の形のトンカツの発祥は昭和4年上野御徒町「ぽんち軒」でこちらも日本固有の洋食と言えます。

 

6.旧ソ連製の車「ヴォルガ」由来説

これに対し

確かに旧ソ連時代にGAZというメーカーが1950年頃から2000年頃までヴォルガと言う車を生産していたようですが、車の名前が料理名の起源とする必然性がなく無理があると思われます。

 

7.オムスク連想説

オムライスに似た料理→オム→オムスク→ボルガと連想されたというもので、もともと坂井市のオーカワパンのキャラクターとしてオムスク坊やというのがあり福井県民にオムスクという名前に馴染みがあったためこの様な連想が起こったとの説。

これに対し

同じロシアの地名ではあるがオムスクはボルガ川とは最小でも700kmぐらい離れた場所にあり同じロシアの地名を連想するのであればもっと有名なモスクワやレニングラードなどが思い浮かぶのが自然で敢えてオムスクからボルガを連想する必然性はありません。更に言うならオムスクを連想するならそのままオムスクで良かったのではないでしょうか。

 

その他の説も恐らく無限に湧き出してくる可能性はありますが、ここで結論から先に申し上げておきましょう。

 

ボルガライスは福井でネーミングされたのではなく東京でネーミングされた料理で福井に伝わった時点で既にボルガライスと呼ばれていた。

このため福井でネーミングされたとする諸説は全て誤りと考えられる。

 

東京でネーミングされたと考えられるいくつかの根拠を挙げる前にここまで調査した中でボルガライスがどのように生まれたかの概要を纏めてみます。

 

クスノキ屋

ボルガライスが生まれたのは1950年代中盤~後半にかけて、浅草にひさご通り商店街中央にあった洋食とケーキの店「クスノキ屋」が起源と考えられます。

クスノキ屋については詳しい文献が殆ど残っておらず詳しい創業年は分かっていないのですが、1941年頃生まれの巣鴨の老舗パン屋アルル(現在も営業)の初代店主(現在もご健在)が25歳の時(1966年頃)に独立準備の中でクスノキ屋の店主とお会いしたとの記述があります。当時、クスノキ屋は何人もの独立を成功させていたという事から1966年当時、創業から既に何年も経った状態だったと考えられ、このことからもクスノキ屋の創業は少なくとも1950年以前だったと想像されます。

この店ではボストンライスやワシントンライスなどのメニューが有ったという証言から世界各地の地名を料理名にしていた可能性が高いと考えられます。

一部ではボルガライスとボストンライスは同一の物だったともされていますが定かな証拠はありません。

ボルガライスが1950年代に作られたメニューだとするとここで一つネーミングに関わる大きな事件があります。1952年ヴォルガ・ドン運河の開通です。

よく思い起こして頂くと、我々がボルガと聞いてまず頭に浮かぶのはヴォルガ・ドン運河ぐらいではないでしょうか。その開通が1952年にありました。

当時、このニュースは恐らく日本でも大きく報じられたと考えれます。多分「東洋と西洋が一つに繋がった」的な報道もあった事でしょう。

これはあくまで想像ですが、そのヴォルガ・ドン運河の開通にちなんで、洒落の効いた江戸っ子ならヴォルガ・ドンならボルガ丼だ!的なノリもあったと想像されます。

クスノキ屋でその様な発想があったとして「でもうちは洋食屋だから丼ってのもなんだからボルガライスにしよう。」みたいな事になったとしても不思議ではありません。

あるいは、それ以前から有ったチキンライスにトンカツの具を乗せたボストンライスと呼ばれていた料理を東洋と西洋の融合の象徴としてボルガライスに改名したと言う可能性も考えられます。その様な経緯であれば以降ボストンライスでもボルガライスでもこの店では通じたと考えられ、同じ料理に2つの呼称があるのも納得できます。

別の方向から見てみましょう。

各店については後述しますが、鬼怒川の谺のボルガライス、水天宮の日勝亭にかつてあったボルガライス、三ノ輪のとんかつたかはしのボルガライス、そしてカフェド伊万里のボルガライスです。

これらはいずれも浅草のボルガライスの流れを汲む店と考えられます。共通するのはチキンライスの上にトンカツと溶き卵を合わせた具材を乗せるという点です。

この事から恐らく浅草のボルガライスはオムライスにトンカツを乗せたという発想ではなくチキンライスにトンカツの具的な物を乗せた物だったと推察できます。

ボルガライスの名前の着想に関して、チキンライス(西洋)とカツ丼(東洋)との融合的な発想からこの料理が生まれたとすれば名前の必然性も俄然高くなるのではないでしょうか。

浅草のボルガライスに関してはもう一つ「ボルガ」という店が存在したという説もあるようですが、これに関しての文献は皆無の状態です。ただ、一時期浅草界隈で密かにボルガライスの文化があった事は間違いないと思われます。

 

浅草由来と考えられるボルガライスの事例

 

その1:鬼怒川温泉 おいしい店谺(こだま)の事例

谺は1968年創業で創業当時からオリジナルメニューとしてボルガライスがあったと店のFacebook で紹介されています。

その姿は福井のボルガライスと基本は類似していますが、チキンライスの上に卵とじカツを乗せた料理でデミソースは使用されていません。

初代のご店主は幼い頃に出身の浅草で食べたボルガライスをインスパイアして作ったとしています。

先代のご主人のお年が不明のためそれがいつ頃だったのかは定かではありませんが、1968年にお店を立ち上げておられる事を踏まえると少なくとも1950年代、場合によっては1940年代に浅草にボルガライスを出す店が有ったという事になります。これがクスノキ屋の事を指すのかは定かではありませんが、少なくとも福井のボルガライスが発祥したとされる1980年代よりはるか昔にボルガライスが存在したことになります。

その2:三ノ輪とんかつたかはし(閉店)のボルガライス

浅草から2kmほど北、東京三ノ輪で最近まで営業されていたとんかつ専門店の「たかはし」でボルガライスが提供されてました。

店主は1935年頃浅草の生まれで1970年頃、閉店当時の場所から三ノ輪駅を挟んで反対側の日暮里寄りの場所で創業されました。

少なくとも旧店舗時代からボルガライスはあったようですが、旧店舗時代はボストンライスと呼ばれていたという証言もあります。

ボストンライスはクスノキ屋の所でも記載した通りどうやらボルガライスに酷似したあるいは同一のメニューだと思われます。

現在、閉店扱いで残されている食べログの記事で当時のボルガライスの写真を見ることが出来ますが、金属プレートに盛られたチキンライスの上にふわふわの卵とカツを1つにした物がトッピングされ自家製のトマトソースがかけられグリーンピースが乗せられていた物だったと確認できます。

この事からもしかするとクスノキ屋のボルガライスは金属プレートで提供されていたのかも知れません。

その3:日勝亭@水天宮のヴォルガライス

1925年大正14年創業の日勝亭では現在はメニューからないもののかつてはヴォルガライスというメニューがあったようです。そのメニューがいつ頃からいつ頃まであったのかは定かではないがチキンライスの上に薄焼き卵を乗せてその上にカツが乗りソースがかかった料理だった。金属のワンプレートにサラダも添えられていた。

チキンライスの上に卵とカツを一緒にした具を乗せる形態や金属プレートで提供されていた経緯からこちらのヴォルガライスも浅草由来であった可能性が考えられます。

その4:越前市カフェド伊万里のボルガライス

福井ボルガライス発祥の店として知られるお店です。このお店については先日訪問をさせて頂き少しだけお話を伺う事ができました。

店主(奥野行子さん)は御年70ぐらいとお見受けします。1986年の創業当時お知り合いに料理人の方(他サイトによると山口さんという方らしい)がおられました。

山口さんはそれ以前に東京で料理修行をされていてそこでの賄いとしてボルガライスを作っておられたそうです。

奥野店主は山口さんからそのレシピを教わり店のメニューに取り入れました。その際山口さんがこの料理をボルガライスと呼んでおられたそうです。

その山口さんはそれから暫くして35歳の若さで脳溢血により急逝されました。そのためボルガライスの名前の由来については奥野さんも山口さんの奥様も聞いておられないそうで、なぜボルガライスになったのかは今となっては謎となっています。

 


私は直接奥野さんにお話をお伺いいたしましたが、同じ話は他でも多く紹介されていてボルガライスの名前の由来が諸説混沌とする原因ともなっています。

しかし、ここで一つ見落としている点があります。ボルガライスは福井に伝わった時点で既にボルガライスと言う名前がついていて山口さんはそれを伝えたに過ぎないのではないかと言う事です。山口さんが修行されていたのは東京の店だそうですが、恐らくそこでは自身の店ではボルガライスを提供してはいなかったものの、厨房内の誰かが浅草のボルガライスを知っていて、賄いとして作っておられたのではないかと推察されます。それをカフェド伊万里の開店に当たってメニューとして取り入れたと考えられます。浅草、恐らくクスノキ屋のボルガライスは残念ながら現在原型を見ることは出来ませんが、他店に伝わった様子から察するに、福井のボルガライスに比べてもう少し男飯的な趣が強かったのではないかと思われます。私がカフェド伊万里を実際に訪問して肌感として感じた事は、とにかく古くはあるが清潔で綺麗に整えられていると言う事です。トイレもお借りいたしましたが、見事に清潔感のあるトイレでした。恐らくご主人の奥野さんが大変きっちりした方でその性格が福井に伝わったボルガライスを今の整った形態に変化させたのではないかと思います。福井でボルガライスが広がったのも元となったカフェド伊万里のボルガライスが整った美しい料理だったからなのではないかと思います。

福井で名前の由来が諸説混沌としている現状にあたって

福井県民の県民性を調べると大体、「負けず嫌いで目立ちたがり」と出てきます。またその気質を越前詐欺と称せられるように商売上手でその成功のためにはちょっとしたでまかせも厭わないとの県民性が書かれています。ボルガライスの発祥について「実は私の店で・・・」という話があちこちで出てくるのもこの様な県民性が関係しているのかも知れません。ただ、私が行った感想としては、福井の人々は皆親切で人懐っこく外からの人にとって大変居心地の良い場所だった事も付け加えておきたいと思います。

これらの事実を踏まえた上で、ボルガライスは1950年代に東京浅草で生まれた料理だと考えられます。ただ、その後広く世間に周知されることなく、現状浅草近辺ではこの料理は、ほぼ絶滅の状態となっています。一方、遠く離れた福井県越前市で根付きローカルフードとして広く市民に愛され、今では福井名物として全国に知られるようになりました。今では東京の人もボルガライスは福井名物だと認識している人が多いと思います。種こそ浅草生まれですが、福井で花を咲かせた「福井の文化」と言っても良いでしょう。

提供店(工事中!)

越前市:カフェド伊万里  ボルガライス 発祥の店

越前市:ヨコガワ分店 ボルガライス

越前町:ボルガ食堂 あとがけデミグラボルガライス(ボルガライス)

西浅草:我まんま ボルガライス チキンライスのかつオムライスデミがけ