トルコライスの歴史

 

※数年前に書いた物でその後2022/01/25に補筆を加えております 

長崎発祥と言われることの多いトルコライスですが、ネーミングの由来や発祥店など実はかなり謎に包まれた料理と言えます。まずネーミングの由来についてですが諸説ありどれにも確証がないのが現状です。一般に知られている諸説としては次のようなものが上げられます。

1.トルコ料理「ピラウ」(ピラフ)から炒め飯料理をトルコ風ライスと呼んだのが始まりとの説

2.ピラフ(インド:東洋)とパスタ(イタリア:西洋)の架け橋として中間のトルコの名を付けたとの説

3.ピラフ、カツ、パスタの3種を「トリコロール」になぞらえ、やがてそれがなまって「トルコ」となったとの説。

4.喫茶店「トリコロール」または、レストラン「トルコ」の店名由来説。

5.トルコ風呂由来説。

6.明治時代に福沢諭吉が記した「土耳古飯」由来説。

7.占領下の神戸の将校クラブで提供されていた「トルコ風ライス」を長崎でアレンジしたとの説。

 また発祥の店についても諸説ありこちらも確証にかける状況です。

発祥の店とされるのは創業大正14年(1925年)、九州最古の喫茶店として知られる「ツル茶ん」。

そして、いずれも神戸の将校クラブで出されていた「トルコ風ライス」を元にしたという、「ビストロ・ボルドー」と「メーソン仔馬」などです。

 これらいずれも確かな記録がないため、どれが本当なのか確定することはできなのですが、色々な事象を可能な限りフラットな目で見ての私見として検証してみたいと思います。

まず、長崎トルコライスが戦前から有ったのかという点について。確かにトルコライス発祥の店とされる店のうちの1つ「ツル茶ん」の創業は1925年で、この年はトルコ共和国建国(1923年)の2年後に当たり、その名を冠した料理が生まれても不思議ではないのですが、その後日本は第二次世界大戦へと向かい、当初は中立を維持してたトルコはその後1945年に日本に宣戦布告を行っています。宣戦布告後間もなく終戦となったため実際に交戦に至ることはなかったのですが、それでも戦時中の統制下で敵国の名を冠した料理を提供し続けることは事実上困難ではないかと考えられます。一度、ネーミングを変更してその後また元に戻したという可能性がゼロとは言えませんが、そのような事が起こったという記録や伝承もないことから、やはり長崎トルコライスは戦後に生み出されたものだと考えるのが自然だと思われます。同じく福沢諭吉の「土耳古飯」説もトルコ料理の「ピラウ」に関する記載と思われますが、当時西洋料理は一部の上流階級の人たちの食べ物で、一般庶民がそれを食することはほぼなかったと考えられることから、それが独り歩きし発展して今のトルコライスに発展したと考えるのは少し無理があるように思われます。

 そして、ここで一つ記録として残るのが神戸の将校クラブ「シルバー・ダラー」で出されていた「ピラウ」というトルコ風ライスです。GHQが神戸に進駐したのは1945年9月とされています。その後、いつからこの将校クラブが営業を始めたのかの記録を見つけることは出来ませんでしたが、1955年に消失した三宮ピカデリーの向かい側に「シルバー・ダラー」が写った恐らく1950年頃と思われる写真が残っています。このことから、少なくとも1950年(昭和25年)頃には神戸の「シルバー・ダラー」で「ピラウ」が提供されていた可能性が高いと考えられます。ちなみに、この将校クラブで提供されていた「ピラウ」は、実際のトルコ料理で、カツやパスタは乗らない料理だったと考えられます。長崎トルコライスは様々な記載を見る限り昭和30年代はじめ~中頃に登場したメニューではないかと思われ、神戸のトルコ風ライス「ピラウ」以降に世に出たものの可能性が高いと考えられます。もしそうであれば、将校クラブのシェフであった「ビストロ・ボルドー」植原 一氏のお父上が長崎に帰った後「レストラン丸善」で提供を始めたとする説が俄然信憑性を帯びます。さらに、想像を膨らませると、当初そのお父上はトルコ料理の「ピラウ」的なものを作ろうとしたが、ちゃんぽんのように色々な食材を1つの料理に集めたり、明るくサービス精神が旺盛とされる長崎県民の基質も相まって、「ピラウ」に当時人気の「豚カツ」や「パスタ」をサービストッピングして「トルコ風ライス」としてメニュー化し、それが近隣の飲食店にまたたく間にひろがったという空想が広がります。トルコライスのメニュー化に際しては、もしかしたら同じく神戸で「ピラウ」に触れた「メーソン仔馬」の北原氏が同じく関わっていたのかもしれません。-あくまで想像です。事実がどうかは今は誰にもわかりません。

(2022年1月25日補筆)

過去記事で上記の様に書いていましたが、最近ビストロボルドーのホームページにトルコライスの成り立ちについて掲載されましたので紹介しておきます。なお、これにより長崎トルコライスの起源論争については完全に終止符が打たれたものと、当研究会では判断致しております。

 

ビストロボルドーのHP 

トルコライス発祥のルーツについて 

以下、ホームページに記載された内容です。(転載許可を取っております)

 

プロローグ

60数年前、当店シェフの父親が神戸の「シルバーダラ」という将校クラブに勤めていた頃、冷ご飯を焼き飯にして出すのに、 外国人の手前、トルコ国の「ピラウ」(炊き込みサフランピラフ)に似せた料理「トルコ風ライス」を考案しました。

考案当初、ワインにサフランを入れて色付けしていましたが、サフラン臭いと言うことでターメリックで色付けしました。

ただし、今度は粉くさいと言われ、カレー粉で色付したら美味しいとの事。

次におかずが欲しいとの事でスパゲティーととんかつを添えて出したそうです。

トルコ国の「ピラウ」に似せて考案された料理「トルコ風ライス」こそがトルコライスの原型で、 発祥のルーツとなっています。

 

初のメニュー化へ

昭和33年に長崎へ。しばらくして、レストラン「丸善」の松原チーフと親しくなりました。

松原チーフが入院中、当店シェフの父がヘルプチーフとして勤務した際に、レストラン丸善の経営者から「何か面白い料理は無いか」と聴かれて 「トルコ風ライス」を教えたことが、長崎で広まるきっかけとなります。

松原チーフが退院後、「トルコ風ライス」が初めてレストラン「丸善」のメニューに載ることとなります。

その時にドライカレーとスパゲティーが半分づつになり、とんかつが一枚載せられ、カクテルソースとデミグラスソースか掛けられました

 

以前に掲載した文章の中で推測した、トルコライスが神戸の将校クラブ「シルバーダラー」で提供されていた「トルコ風ライス」に由来する点、当初はトルコ(風)ライスが「ピラウ」その物を指していた点、それを現「ビストロボルドー」シェフのお父様が長崎に持ち帰られたという点が推測と一致いたしました。ただ、当時推測した中で、トンカツやパスタが添えられた理由をサービストッピングと考えていた点については、神戸での「おかずがほ欲しい」との要望に答えたものである点、その構想が神戸時代に既に築かれていた点、そして何よりシルバーダラーでのトルコ風ライス(ピラウ)の考案がお父上自身の発案であった点は予想を上回る驚きでありました。

当初混沌としていた長崎トルコライスのルーツについても、これだけの具体的で時代考証的にも矛盾が無い記述が出た以上、完全に終止符が打たれたものと考えても良いのではないかと考えられます。

長崎トルコライス

 数多くのバリエーションが存在する長崎トルコライスですが、基本的な構成は、ワンプレートにピラフ、カツ、ナポリタンが乗りデミグラスソースがかかった物が基本形だと思われます。

 本来、トルコ料理として存在しない豚カツやナポリタンが配された料理を「トルコライス」と呼ぶ謎については、上記のように、戦後GHQの統制下の米将校クラブ「シルバーダラー」で現ビストロボルドーのお父上が、元々のトルコ料理である「ピラウ」に客からの要望でおかずとしてカツやパスタを加えた物が原点となっているためで、その後お父上が昭和33年に長崎に帰った後、レストラン丸善で入院中のシェフのヘルプとして働いておられた際に、神戸で着想を得たカツやナポリタンを付けた現在の形のトルコライスを紹介した事から近隣に広がり、後にトルコ風ライスの「風」が抜け落ちてトルコライスになったと考えられます。

長崎トルコライスを提供する店は全国に300店近くあると思われ、現在ピックアップ作業を行っていますが、全てをピックアップするのは、かなり困難な作業となっています。

 

長崎風トルコライスが確認された店。(途中経過)

〈北海道〉

東亜珈琲館 本店(千歳市)・西萬(旭川)・定食屋ジンベイ 菊水元町店(札幌)・旅人食堂(札幌)チャンティカ(釧路)・Batta(音更)・昭和食堂(函館)・マギー(遠軽)

〈東北〉

一幸食堂(弘前)・ラタン(北上)・ポッポ(秋田)・れすとらんちんくる(秋田)・ピーパル(秋田)・NOVE(秋田)・ヨコハマ(角館)・食工房 チロルの森(大仙)・

岩手県北上市:ラタン 長崎風トルコライス

北浦和:つくし 長崎トルコライス

長崎市:ビストロボルドー トルコ風ライス

神戸トルコライス

 ケチャップを使用しない炒めご飯にカレーをかけ生卵をトッピングした料理。トルコライスの元である可能性が高い、トルコ料理「ピラウ」が発展したものとも考えられます。神戸の米軍将校クラブのお膝元であるため、これが近隣に広がった可能性が高く、当時どの程度の広がりを見せたのか興味のあるところです。カツを使用していないので、本来ここに入れるべきものではないかも知れませんが、ある意味、長崎、大阪のトルコライスの源流と考えられ、歴史的な意味を含めて紹介させていただきます。また、現在本来の意味での神戸トルコライスを提供する店は、ほぼ絶滅状態にあり、希少な提供店は、発見次第こちらに上げさせていただきます。 

提供店

阪急六甲駅:エフ トルコライス(神戸トルコライスの原型を今に留める貴重な店)

(亜型)大阪九条:ゼニヤ トルコライス(カレーピラフに他人丼の具と生卵)

(亜型)兵庫県伊丹市:cafe Mon 帝国トルコカレー(チャーハンにカレー)

 

大阪トルコライス

 大阪を中心とする関西には、チキンライスのオムライスに豚カツを乗せたタイプの大阪トルコライスが存在します。

地理的にはトルコ風ライス「ピラウ」が有った神戸に近いのですが、カツを乗せるいう発想は長崎のものと近く、せっかちな大阪の基質もあって、ナポリタンとピラフを手っ取り早く合わせたような感じでケチャップライスに置換し使用したとも考えられます。それとは別に、大阪では大正14年(1925年)に北極星でオムライスが考案されたとされていて、地域的にオムライスに親しみ深い地域だったと考えられます。ケチャップライスがオムライスに転じた理由もこの辺の大阪の食文化が関わっているのではないかと想像されます。発祥の店とされる「イスタンブール」の創業が1964年(昭和39年)であることから、時代的にも長崎に遅れて生み出されたものと考えられ、長崎トルコライスが元となっている可能性が高いと思われます。

 

大阪トルコライスの提供が確認された店。(現在も提供しているかは不明です。)

岩手県八幡平市:レストラン LAMP トルコライス

埼玉県さいたま市:つくし 大阪トルコライス

山梨県南都留郡富士河口湖町:マ・メゾン 西湖店 トルコライス

京都府京都市:のらくろ トルコライスセット

京都府京都市:旬彩Dining 悠 トルコライス

京都府京都市:サー・トーマス・リプトン ポルタ店 ロースカツのトルコライス

奈良県大和郡山市:ハンプサード トルコライス

奈良県生駒市:しえのわ 東生駒店 トルコライス

大阪府大阪市:イスタンブール  トルコライス(大阪トルコライス)

大阪府大阪市:グリルばらの木 トルコライス

大阪府大阪市:キートス Kiitos特製トルコライス

大阪府大阪市:グリル 北斗星 トルコライス

大阪府大阪市:グリルらんぷ亭 トルコライス ※ドライカレー メニューにボルガライス(ケチャップライス)もある

大阪府大阪市:ステレオ 特製トルコライス

大阪府大阪市:curry restaurant BRUNO HEP NAVIO店 トルコライス ※大阪トルコライスのカレー版

大阪府大阪市:魚deバール ウオチカ。 トルコライス ※昼メニュー

大阪府吹田市:キッシュ キッシュ風トルコライス

大阪府大阪市:ケラケラ ケイヴ スパイシートルコライス 米カツではなく唐揚げ

大阪府堺市:カアナパリ トルコライス(大阪トルコライス)

大阪府摂津市:タイニーキッチン トルコライス

大阪府堺市:ハピドン ハピドン名物トルコライス

大阪府守口市:シャルドン トルコライス

大阪府大阪市:食堂 男はつらい 大阪トルコライス満腹セット

大阪府堺市:Kohga ボリューム満点トルコライス

大阪府大阪市:パウゼ トルコライス

大阪府大阪市:とまと トルコライス

大阪府大阪市:ヴァンガード 京橋 トルコライス

大阪府大阪市:コーヒーハウスケニア 道頓堀店 トルコライス

大阪府大阪市:ITALIAN DINER SPAPARA ジャンボポークカツのトルコライス

大阪府大阪市:Trattoria LOGIC OSAKA トルコライス

大阪府大阪市:デリポート 熱々鉄板トルコライス

大阪府大阪市:グリル&ワイン クリームキッチン トルコライス

大阪府大阪市:珈琲家 トルコライス

大阪府大阪市:船場 de Cafe エビトルコライス

大阪府大阪市:フレンド トルコライス

大阪府大阪市:ティンカーベルファクト トルコライス

大阪府大阪市:大心 トルコライス定食

兵庫県尼崎市:洋食家 アルハンブラ  トルコライス

兵庫県神戸市:エスタシオンカフェ 三ノ宮 トルコライス ※ドライカレー

兵庫県神戸市:エスタシオン神戸 トルコライス

兵庫県神戸市:エスタシオンカフェ 新神戸 トルコライス

兵庫県尼崎市:幸 トルコライス

兵庫県芦屋市:エスタシオンカフェ JR芦屋店 トルコライス

鳥取県鳥取市:トンボ  トルコライス

関東(神奈川)トルコライス

関東トルコライス

 武蔵小杉を中心として神奈川から東京に広がる地域で提供される独自のスタイルのトルコライスがあります。

いくつかのバリエーションはありますが、基本ケチャップライスとカツを組み合わせた料理で、なかでもライスの間にカツをはさみ込む独特なスタイルが存在するのが特徴です。このスタイルは現在、武蔵小杉の「かどや」(創業昭和23年)や横浜の「キッチンさし田」、川崎の「ムラカミ」、文京区の「ちくま軒」の4店でしか提供されていないとされています。そのルーツは大正15年創業、渋谷駅前に有った「渋谷食堂」とされています。現在、「渋谷食堂」は既に閉店していますので詳細は不明ですが、「渋谷食堂」をモデルにしたと言う各店が「トルコライス」というネーミングで提供を行っているところを見ると、恐らく「渋谷食堂」でも「トルコライス」というネーミングであった可能性が高いと考えられます。では、「渋谷食堂」でいつ頃から「トルコライス」が提供されていたのか、これが大きな疑問点です。

ここで問題となるのが武蔵小杉の「中華食堂かどや」の証言です。証言では、トルコライスは「2代目店主が高校生だった昭和28年頃、渋谷の「渋谷食堂」で食べた味を再現したもの。」となっており、もしそれが確かであれば、昭和28年(1953年)にはすでに「渋谷食堂」でトルコライスが提供されていたということになります。神戸の将校クラブでトルコ風ライスが提供され始めたのが推定で昭和20年から30年頃、長崎で「トルコライス」が提供され始めたのが推定で昭和30年から35年頃、大阪でトルコライスが提供され始めたのが昭和39年以降、とすると終戦の昭和20年から28年の間に関東のトルコライスは独自に生み出されたことになります。

 しかし、トルコライスがトルコ料理の「ピラウ」に由来するのであれば、単なる米の炒め料理である「ピラウ」が、まず長崎に伝わり「米の炒め料理」+「カツ」+「ナポリタン」に進化し、その後関西に伝わり「米の炒め料理」+「ナポリタン」が「ケチャップライス」に省略され、さらに関西では古くかオムライス文化があるため、ケチャップライスが卵で包まれ、「オムライス」+「カツ」の形に進化したとも考えられるのですが、では関東のトルコライスはどうでしょう。関東のトルコライスもライスは基本「ケチャップライス」です。ケチャップライスは昭和3年開業の資生堂パーラーで提供されていた記録があることから、戦前より関東では馴染みがあった料理ではないかと考えられます。反面、ナポリタンに使用されるパスタは戦前には一部の高級西洋料理店で類似したものを提供していた記録はありますが、本格的に日本で知られるようになったのは国産のパスタが発売された昭和30年以降になります。そこでもし関東のトルコライスが「ピラウ」からの進化であるとすれば、ピラウが長崎トルコライスに進化した直後に「渋谷食堂」に伝わり、そこで「ピラフ」+「カツ」+「パスタ」のパスタが省略されその代りピラフが「ケチャップライス」に変わった。と考えるのが自然に思えます。では、長崎では「パスタ」だったものが何故「ケチャップライス」に変わらなければならなかったのかという疑問が起こります。これは、全くの推察に過ぎませんが、一つには長崎の県民性と「渋谷食堂」の客層に有ったのかもしれません。長崎県民の基質は古くからの開港地であったこともあって、来る者は拒まず、新しもの好きとのことです。日本で発売されたばかりのパスタを使ってピラフに添えても不思議ではありません。さらにサービスでトンカツまで乗せるノリが長崎的なのかもしれません。しかし、これはかなりの高級料理であったことも間違いありません。「渋谷食堂」はかどやの二代目が高校生の頃に通ったとされていることを見ても、かなり庶民的な店だっただろうと思われます。長崎トルコライスの雰囲気を残しつつ、もっと庶民的な料理にするためパスタをケチャップライスにアレンジしたと考えるのは自然な流れだと思われます。さらに言えば、現在、謎とされている、「カツを挟む」という理由が、「ピラフ」「カツ」「ナポリタン」の並びをイメージして「ケチャップライス」「カツ」「ケチャップライス」となったと考えれば理解できなくもありません。

 ただ、一つここで疑問となるのは、関東トルコライスの発祥年代です。かどや二代目が高校生だったのは昭和28年頃とされていますが、これが確かだとすると、長崎トルコライスに先んじる事となり、時代背景が合いません。これはあくまで推論ですが、かどや二代目が高校生の頃に「渋谷食堂」に通った事実はあくまで間違いないとして、もしかしたら、その当時はまだ「トルコライス」のメニューはなかったのではないでしょうか。かどや二代目は高校を卒業したその後も、「渋谷食堂」には通い続けていて、後に開発された「トルコライス」に触れたとは考えられないでしょうか。今となっては、真相を明らかにする術はありませんが、料理の進化の歴史として、その方が自然に思えます。

 ここまで全く想像の域を出ませんが、総括として、トルコライスは戦後の昭和20年代に神戸の将校クラブで出されていた「ピラフ」が長崎でアレンジされ、昭和30年代前半に「ピラフ」+「トンカツ」+「ナポリタン」となり、それが昭和30年代中頃、関東に伝わる過程で「ナポリタン」が省略されその代り「ピラフ」が「ケチャップライス」に置き換わり、長崎を意識して「ケチャップライス」+「トンカツ」+「ケチャップライス」(結果としてケチャップライスでカツを挟む形)となり、さらに昭和39年に関西に伝わり「ケチャップライス」が「オムライス」に置き換わり、行き場を失った「トンカツ」が結果として上に乗せられた。と考えると全ての整合性が整う気がします。あくまで想像の域ですが・・・。

 

 関東トルコライスの提供が確認された店(現在提供しているかどうかは不明です)

カツを挟むタイプ

神奈川県川崎市:かどや トルコライス

東京都文京区:ちくま軒 トルコライス

神奈川県横浜市:キッチンさし田 トルコライス

神奈川県川崎市:ムラカミ トルコライス

神奈川県横浜市:ふじみ トルコライス

カツを乗せるタイプ

茨城県つくば市:イタリアンダイニング エレガンス  トルコライス

埼玉県北足立郡:洋食 エフ・コック  トルコ風ライス

埼玉県坂戸市:扇屋  トルコライス

北浦和:つくし つくしトルコライス

東京都台東区:レストラン ベア 本店 トルコライス

東京都新宿区:レストラン香港 トルコライス

東京都渋谷区:ロビン トルコライス

東京都世田谷区:ナカジマ トルコライス

東京都西東京市:日の出とんかつ トルコライス

東京都千代田区:わびすけ トルコライス

神奈川県横浜市:ミツワグリル トルコライス

神奈川県川崎市:おしげ食堂 トルコライス

神奈川県横浜市:レストラン 味蕾亭 トルコライス

京都府城陽市:ルーブル トルコライス ※卵なしの大阪トルコライス

奈良県橿原市:津田食堂 トルコライス ※卵なしの大阪トルコライス